学生目線で、先輩方に多様な「幸せの見つけ方」を問う。
不確実な未来に前を向く、バックキャスティングメディア「FOREFACE」。
長年住んだ東京から新潟県十日町市に移住し、仕事もライフスタイルも180度変わった宮澤さや香さん。
移住の背景や行動力の源など、幼少期から現在までの考え方を聞いてみました。
慶應義塾大学文学部を卒業後、2009年にJTBグループの広告会社に入社。商業施設の販促、鉄道会社や自治体の観光プロモーション等を担当。2018年、新潟県十日町市へ移住。現在は、十日町市役所観光交流課にて、越後妻有地域(新潟県十日町市・津南町)を舞台に開催される世界最大級の国際芸術祭「大地の芸術祭」による地域づくりの取り組み等に従事する。
ー幼少期はどのような子でしたか?
私小さい頃すごい人見知りだったんですよ。今でも人見知りしちゃうときはあるんですけど。
ーえ、全然そんな風に見えないですよ。
当時も周りの人たちからは「明るい子だね」と言われてたんだけど、自分から話しかけることが実は苦手で。
でも、小学生の時に”アルマジロの詩”を発表した事が人生のターニングポイントになりましたね。授業で詩を読む時に、「人とは違った面白い詩を読みたい!」と思って、ワードやリズムがユニークだったアルマジロの詩を読んだんですよ。
それがクラスのみんなにウケて、些細なことだけど、それから少しずつ自分に自信が持てるようになりました。
それを機に学級委員をやったりと、アクティブな性格になっていったんですよ。
あとは、校則の厳しい学校に通っていたんですが、その反動で、中学校の時は渋谷でよく遊んだり、いわゆるギャルというか(笑)。
ーギャルだったんですか!全然想像つかないです!!
小中高一貫の狭い世界にいたので、街に出て遊ぶと、自分が今までに出会ったことのない価値観を持った人達に出会えることはとても新鮮で、いい経験でした。
でも、高校生になった時に、「周りの人たちを見返そう」と決めて、それからは全力で勉強するようになりました。
具体的な夢が決まっていたわけではなかったですが、「何かをやりたい!」と思ったときに、可能性の幅を狭めないためにも、とりあえず勉強は頑張りましたね。
ー大学生時代はどのような学生でしたか?
大学に通いながら、YMCAでボランティアリーダーとして子どもたちとキャンプに行ったり、同時並行でI-MAGEにも参加したりしていました。
YMCAでは、人間的な部分・ハートの部分について学ぶことができたし、I-MAGEではビジネスチックなことを学ぶことができました。どちらの経験も今の仕事にすごく生きていますね。
ーハートの部分とは具体的にどのようなことですか?
YMCAのキャンプでは、6〜8人ほどの子どもたちのリーダーを担うことが多く、初めは経験もないのに「リーダーなんだから子供たちを引っ張っていかないと」と、気負っていたんですよ。
でも、「リーダーだから何でもできるわけじゃない。そのままで良いんだ。」と、無理に取り繕うのをやめて、子供たちと同じ目線に立って関わることを意識するようになって。そうすることで少しずつ子どもたちと向き合うことができるようになりました。
「できないことはできない」って割り切って、自分の弱さを見せたり、周りの人に助けを求めたりすることも大事だとそのときに気づきました。
「取り繕うのをやめて、人と人として向き合うことは、仕事においてもとても大切な考えだ」と、社会に出てからより思うようになりました。 例えば、転職して仕事のフィールドが全く変わっても、前職のクライアントの方と一緒に仕事をする機会をいただいたり。ビジネスライクな関係だけだと、その場限りの関係で終わってしまうことも多いけど、人と人として関わることで、その後の縁も続いていくのだと思います。
ーご自身の就職活動を振り返るとどうでしたか?
もちろんつらいこともたくさんありましたが、振り返ると楽しかったですね。
当時は、「全国の大学3年生と仲良くなれるの最高じゃん!」と思っていました。
就職活動って強烈な共通体験なんですよね。
自己分析を突き詰める機会も人生の中ではあまりないことだし、“自分のリアルを知る”良いきっかけになりました。
面接でも“嘘をつかない”でやっていたので、自分にとって本当に相性の良い会社に出会うことができました。
ー現在、長年暮らしていた東京を離れて、新潟に移住しているとの事ですが、今までとは全く違う環境に身を置く事を決断できた背景を教えてください。
夫が十日町市で自営業をしていたので、結婚を機に移住・転職をしました。
東京でやりたいことは一通りやったし、そろそろ生活のフェーズを変えてみても良いかなと思ったんですよね。新しいことに挑戦する上で、身構えすぎないことは大切です。
「地方への移住」が少し流行ってきているからこそ、起業をしたり、意識が高くないといけないんじゃないかとか、「移住=崇高なもの」にとらえられることも増えてきてしまった気がするんです。
でも、そこまで重くとらえずに、「行っちゃえ・やっちゃえ」で新しい環境に身を置いてみるのも全然悪くない。やってみて後悔したら、そのときまた考えれば良いと思います。
ー東京と新潟でどのような環境の変化がありましたか?
東京に比べて、時間の流れが穏やかですね。「暮らしを楽しむ」ということを実感できるのが魅力です。あとは、人との関わりがより密になります。
逆に、匿名性が高いのが東京の特徴ですね。それぞれ良し悪しがあって、東京が良いとか、地方が良いとかは正直無いと思います。
東京で多くの経験をしてから十日町市に移住したのは良かったですね。
ー環境の変化にも順応して暮らしていける宮澤さんにとっての「ロールモデル」を教えていただきたいです。
今まで生きてきたそれぞれの瞬間でロールモデル的なものはなかったですね。
他人に対して漠然とした憧れはあるけれど、「この人みたいになりたい」とかはないですね。
常に「いかに自分がそのときを楽しめるか」を考えてきました。
学生時代は、「本当に自分が本気で楽しめているのか」を疑問に思っていました。
そこから「本気で楽しめること」を追求するようになりましたね。
「楽しく生きること」は「成長する」というよりも、「生きる力が身につく」のかもしれません。
十日町市に来ても、楽しめることを追求していて、例えば、学生時代に部活でやっていた演劇。
またやりたいなと思いながらも、なかなかチャレンジできていなかったんですが、地域の人たちがやっている劇団に声をかけていただき、参加することになりました。
まさか十日町市に来て、舞台にも出演することができるなんて思ってもいませんでした。
ー仕事に対するモチベーションを教えてください。
「働く」という行為自体が嫌いじゃないんですよね。
働くということが好きなので、仕事の環境がガラッと変わっても順応していけるのだと思います。
「仕事だけど仕事じゃない」という感覚ですね。どこに行っても、行ったら行ったで楽しくやっていけると思います。
大学生の時から、考え方とかは変わってないかもしれないですね。
人の繋がりや経験値が増えたから、財産が増えて、選択肢の幅は変わりました。
仕事も遊びも、優先順位や境界線はなくて、それぞれが自分を構成する要素のひとつだと考えてます。なので、常にそれらをアップデートしていっています。
今を全力で楽しんで欲しいです。
「何かしなければいけない。常にアンテナを張って生きなければいけない」とかプレッシャーを感じるよりも、「今を存分に楽しんで生きること」が先に繋がっていくと思います。
社会人なんてみんなが思っているほど、そんなすごい人じゃない。身構えなくてもいいんじゃないかな。
宮澤さん、本日は貴重なお話をありがとうございました!
何かを始めるときに、リスクなどを考えすぎてしまって、結局行動に移せない人は多くいると思います。
でも、『いっちゃえ・やっちゃえ』でやってみて、後悔したらやめればいいというスタイルは僕を含め、
多くの方に突き刺さる考え方だと思いました。
また、これから社会に出て行く学生達の中で「社会人になる前にいろんなことを勉強しておかないと。アンテナ張って生きていないと。」と、身構え過ぎてしまっている学生は多いと思います。
宮澤さんとお話しして、「今を存分に楽しんで生きる精神」は、常に持ち続けていきたいと思いました。
1人でも多くの読者の方々に、宮澤さんの素敵な考えが届くといいなと思います。